お金がほしい。みんなそうだ。
僕もそうだったし、未だにそう思うときもある。
でもそのことに執着しすぎると、借金するまで教材を買い漁り、支払いに追われて精神的に消耗したあげく、職を転々として、金のために闇バイトにまで手を出してボコボコにされて警察にも追い詰められて精神的に惨めな時間を多く過ごすことになってしまうかもしれない。
こういうふうに書くと、自分に責任がなくて、ただただ運がなくてそうなってしまったみたいな書き方かもしれないけど、問題の原因は自分にあった。
これは間違いない。
僕はこんな一般的に見たら地獄みたいなルートを10年というもう戻ることのないかけがえのない時間をかけて、「この問題の原因は自分自身にあったんだな」という事に気づけた。
言葉にするとものすごくあっけなくて本当に悲しくなってくるな。
10年かけ、多額の金をかけ、たくさんの人に迷惑をかけ、自分の精神的・肉体的健康をかけて得たもの。
「この問題の原因は自分自身にあった」
人生って辛いよね。
でもこの10年間の記憶は、不思議と嫌いじゃない。
やはり得たものが、自分の中では大きかった。
お金がほしいという欲は誰にでもあるし、それは否定しなくても良い。
お金を稼ぐことは悪いことではない。間違いない。
だが多くの人は稼ぐこと=悪いこと良くないことという思い込みがある。
これは学校教育の影響もそうだし、マスコミの影響もそうだし、家庭環境の影響がものすごくある問題。
加えて日本はお金を稼ぐという話題をセンシティブに扱いすぎる傾向がある。
なんでなのか?というのは多くの事象が絡み合っていて原因が多岐にわたるから説明もしきれない。
話がそれたけど、お金がほしいと思うことは全く悪くない。
ただその思いに執着しすぎると僕みたいにこじらせることになる。
一番思うのは、お金に執着しすぎて、そういった僕みたいに無駄な金も時間も含めて大切な色々なものを失ってしまう人が減ればよいと思ってる。
そういうと聞こえは良いが、単純に無駄じゃん。
そんなクネクネ道を右往左往してやっとスタートラインに立つっていう無駄な行為をしてきた男の話を聞いて、反面教師にして、人生の大事な時間を無駄に過ごさないでほしい。
読んでくれた人にそんな変化を起こせれば良いなと思って、お金稼ぎに執着していって堕ちていった僕の過去を書きます。
決済ボタンを押した瞬間 〜地獄からの脱出チケット〜
「これが最後の希望だ」
そう思いながらクレジットカードを手に取った。
画面には「19,800円」の金額と「会社を辞めて即日失業保険をもらう裏技」という煽り文句。頭では「これは詐欺だろう」と理解していた。「残り2名様」なんて表示が一週間変わらないのを見れば、誰でも気づくはずだ。
でも、俺の心はすでに決めていた。
「騙されてもいい。この地獄から脱出できる可能性があるなら、19,800円なんて安いもんだ」
決済ボタンにカーソルを合わせる。指が震えた。
当時の俺の現実はこうだった——。
全国展開の電気工事会社で現場監督。朝は8時から。でも実際は7時には現場入り。夜は20時、いや、それ以上が「通常」の勤務時間。月の残業時間は200時間を超える。
「このままじゃ死ぬ」
そう確信していた。
同期入社の奴はすでに鬱になって退社していた。上司は缶ビールを片手に仕事。俺にも強要してきた。毎朝、俺は上司の家まで車で迎えに行き、夜も送る。まるで奴隷のような日々。
そして、ある夜のプレハブ事務所。図面を前に、ふと思った。
「なんのために生きているんだろう」
その問いが、全てを変えた。
「もう限界だ。辞めたい。でも辞めてどうする?金は必要だ」
親からの刷り込みもあった。「せっかく努力して入った上場企業」「正社員」「ボーナスも良い」。でも、もう耐えられなかった。
「でも、親はどう思うだろう」「世間体は?」「また就職できるのか?」
そんな葛藤のなか、ネットで見つけたのが「会社を辞めて即日失業保険をもらう裏技」という情報商材だった。
LPを何度も何度も読み返した。「この方法で会社都合退職になれば、すぐに失業保険がもらえる」「適切な診断書があれば、会社も強く言えない」
胡散臭い。でも、希望が欲しかった。
決済ボタンにカーソルを合わせたまま、5分、10分と悩み続けた。頭の中では様々な声が交錯する。
「この金額、一日の残業代にも満たないじゃないか」 「でも、詐欺かもしれない」 「それでも、このままここで働き続けるよりはマシだろう」 「最悪、騙されても諦めがつく」
そして、ついに決済ボタンを押した。
「カチッ」
その瞬間、不思議と心が軽くなった。
「あー、もう押したから、決めたから、あとはなるようになるしかない」
人生で初めて、「どうにでもなれ」という開き直りが、救いになった瞬間だった。
PDFファイルという救世主 〜絶望から希望へ〜
ダウンロードした200ページのPDFファイルを見た瞬間、最初に感じたのは落胆だった。
「マジか。俺が必死こいて働いた給料がこんなあっさり消費されるのか」
18万円の月給から2万と引かれるのは痛い。しかしたった1分の決済で消えた。しかも手に入れたのは単なるPDFファイル。
「こんなものに2万払うなんて」
その後悔は長くは続かなかった。PDFを読み進めていくうちに、俺の中に新たな感情が芽生えてきた。
「これ、いけるんじゃね?」
そこには驚くほど具体的な手順が書かれていた。
街の精神科医への行き方。診察での伝え方。ハローワークでの手続きの正確な流れ。必要書類のリスト。会社との交渉術。全てが網羅されていた。
実は、これはネットで適当に拾える情報を寄せ集めたものだったのかもしれない。でも、当時の俺にはそんなことを調べる精神的余裕も時間もなかった。
この詳細な「脱出マニュアル」は、俺にとって救世主だった。
「やるべきことが明確になった」という安心感。具体的な行動計画が示されている安心感。それは、長い間感じていなかった「希望」という感情を呼び覚ました。
診断書を取るための医師との会話の仕方。会社との交渉術。ハローワークでの対応方法。全てが詳細に書かれていた。
特に重要だったのは、「会社都合退職」と認めさせるための交渉方法だった。
人事部との対決 〜復讐の甘い蜜〜
証拠集めも順調に進み、いよいよ会社を辞める時が来た。
胸の中では、ある種の高揚感が渦巻いていた。それは「復讐」と呼べるような感情だった。
「今まで散々苦労させやがって、ふざけんな」
実際には、特定の誰かに恨みがあったわけではない。上司も同僚も、俺を意地悪く扱ったわけじゃなかった。
恨みの矛先は、むしろ「システム」そのものだった。新人だからという理由で過酷な労働を強いる環境。200時間超えの残業を当たり前とする風潮。同期が鬱になっても「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言い続けるような空気。
「これって当たり前じゃねえだろ」
退職の手続きで人事部を訪れた日、心臓が高鳴っていた。まるでドラマのワンシーンのように、カッコつけながら言葉を選んだ。
人事担当者が予想通りの質問をしてきた。
「自己都合退職で間違いないですね?」
その瞬間、心の中でほくそ笑んだ。PDFに書かれていた通りの展開だ。
「いいえ、会社都合退職になります。すでにハローワークでも手続きをしています。ハローワークから会社に連絡が行くと思います」
人事担当者の顔が一瞬で変わった。ポカンとした表情。想定外の回答に、言葉を失ったようだった。
正直、めちゃくちゃ恥ずかしかった。まるで子供が大人の言葉を真似しているかのような感覚。でも同時に、「勝った」という感覚もあった。
システムへの小さな反逆。搾取されるだけの存在から、自らの権利を主張する存在へ。その変化が、俺に力を与えてくれた。
手にした自由と退職金 〜信じられない現実〜
その後の展開は、PDFに書かれた通りだった。
診断書、過去6ヶ月分の給与明細(残業時間の証拠)、退職証明書を持ってハローワークへ。
窓口で緊張しながら説明する。担当者は書類に目を通し、うなずいた。
「こういうケースは会社都合退職と認められます。失業保険は来月から支給開始です」
そして1ヶ月後、俺の手元には失業保険の初回支給明細と、さらに予想外の手紙が届いていた。会社に5年以上勤めていたため、退職金の支給も会社都合の額になっていたのだ。
119万円。
その数字を見た瞬間、体が震えた。
「マジで…できた…」
「2万円の投資」で「119万円」のリターン。しかも、これからは毎月失業保険が入ってくる。
この時、俺の中で何かが変わった。社畜として消耗する人生から、自分の意思で運命を変える可能性を見出した瞬間だった。
「ネットの情報で、人生は変わるんだ」
この”成功体験”こそが、その後の俺の人生を大きく狂わせることになる「情報商材依存症」の始まりだった。もちろん、その時はまだ気づいていなかったけど——。
成功体験が生んだ「情報商材依存症」 〜次々と手を出す罠〜
失業保険と退職金を手に入れた高揚感は、俺の人生観を根底から覆した。
「決まり切ったレールに乗らなくても生きていける」
それまで親や先生の期待に応えて、自分の意思を後回しにして生きてきた。モノレール会社に行きたかったのに、担任と親が推す「上場企業」に就職した。そんな自分の選択を、初めて疑い始めた。
「自分自身を大切にしないで他人の意向ばかり優先してきたんじゃないか?」
「あの人が言ったからやったのに、うまくいかなかった。俺が悪いわけじゃない」
そんな他人任せの生き方への反動が、次の行動を決定づけた。
まだ失業保険をもらいながら、ハローワークの求人票を眺めていた頃のこと。どの求人も心が踊らなかった。
「また同じ地獄を繰り返すのか…」
電気工事会社での経験がトラウマになっていた。正社員という言葉に拒否反応を示すようになっていた。「堅苦しそう」「面倒な上司や上層部に合わせなきゃいけない」。そんな思いが、正社員という道を塞いでいた。
その時、ネットサーフィンをしていて見つけたのが、アフィリエイトという言葉だった。
「ネットで稼ぐ」という新しい世界の入り口。
最初はその仕組みがピンと来なかった。ブログを書いて広告を貼れば勝手に誰かが買ってくれて報酬が入る?そんな旨い話あるのか?と半信半疑だった。
でも、「就職したくない」「正社員になりたくない」という思いが強くなっていた。だからこそ「ネットで稼ぐ」という選択肢に藁にもすがる思いで飛びついた。
そしてある日、見つけたのが「ブログアフィリエイトで月30万円稼ぐ完全マニュアル」という情報商材。価格は49,800円。
LPを見たとき、全身に電流が走ったような感覚があった。
「これだ!」
LPには、俺が疑問に思っていたことへの答えが次々と書かれていた。
「そうそう!そこがわからなかったんだよ!」
共感ポイントが散りばめられ、「やり方がわからない→だから今回教材を作りました→49,800円」という流れに、知らず知らずのうちに引き込まれていった。
前回の成功体験が背中を押した。
「前回は2万で119万円のリターン。今回は5万で月収30万の可能性。やらない理由がない」
成功者の体験談。月収グラフの右肩上がりの曲線。具体的なステップが書かれていることへの安心感。
心のどこかで「本当にうまくいくのかな」という疑念はあった。でも、もう「決めたなら」という気持ちが勝っていた。
ランディングページには「初月から10万円達成!」「未経験から脱サラ成功!」の文字が踊る。どれも俺が描く理想の未来そのもの。49,800円の価格表示を見ても、「先行投資だ」と自分に言い聞かせた。
「この教材で稼げるようになれば、すぐに元は取れる」
ダウンロードした教材は200ページを超えるPDFと10本以上の解説動画。この分厚さに「さすがこの値段するだけのことはある」と、少し安心した。
しかし、実際に取り組み始めると、想像とは違う現実が待っていた。
甘い期待と現実の乖離 〜地味な作業の連続〜
教材のステップ通りに実践し始めたある日、突然気づいた。
「あれ、これってただの地味な作業の連続じゃん」
ブログアフィリエイトの教材は、自分が興味もないジャンルについて調べ上げ、記事を書き続けるという単調な作業の繰り返しだった。
最初は慣れないこともあり、1記事書くのに2〜3時間。情報を集め、まとめ、文章にする。その作業に没頭できるなら良かったが、興味のない内容について「専門家のふり」をして書くことに強い違和感を覚えた。
「なんで俺が、一度も使ったことのない美容製品について記事を書いてるんだろう」
そんな疑問が頭をよぎるも、「稼げるから」という理由だけで指を動かし続けた。
記事を書き終えても、すぐには収益が発生しない。アクセスは一向に伸びず、毎日時間を費やして数記事投稿しても1日4PVとか。
「アドセンス通過するまで辛抱だな」
そう自分に言い聞かせ、何とかGoogle AdSenseの審査に通過したものの、大きなヒット記事は生まれず、1日10円程度の収益。
これが、あの華やかなランディングページで約束された「初月50万円」の現実だった。
地味な作業と期待外れの結果のギャップに、徐々に心が削られていく。
LPで見たのは「ギャンブル」のような一発逆転の夢。でも実際は「ビジネス」という地道な積み重ねだった。その落差に気づくのに、何ヶ月もかかった。
仲間の存在に見出した救い 〜孤独な作業からの解放〜
地味な作業に疲れてきたある日、ふと教材のサイトをよく見てみると、「実践者掲示板」という項目を発見した。
「こんなの前からあったっけ?」
クリックしてみると、そこにはほかの実践者による日報や進捗報告が並んでいた。まるで学校の掲示板のように、みんながそれぞれの喜びや苦労を投稿している。
「今日は3記事アップできました!」 「キーワード選定に悩んでます。アドバイスください」 「アドセンス審査、3回目にしてついに通過しました!」
目の前に広がる見知らぬ人たちの言葉に、胸が熱くなった。
「俺だけじゃないんだ」
それまで一人で暗い部屋に閉じこもり、ただモニターを見つめながら記事を書き続けていた孤独感が、少しずつ溶けていくような感覚。これは同志たちの存在だった。
毎日更新される日報を読むのが、いつしか楽しみになっていった。誰かが何記事書いたとか、どんな収益が出たとか、そういう報告が自分の励みになる。
特に印象的だったのは、60代と思われるおじいさんの投稿だった。
「2ヶ月ほど経ってしまいましたが、WordPressをやっと設定できました。明日からは記事を書いてみようと思います。」
パソコン操作もおぼつかないそんな人たちが、それでも必死に頑張っている姿に胸を打たれた。
「俺なんてまだマシな方だ」
ある種の優越感。言葉は悪いが、それが新たなやる気の源になった。俺は少なくともパソコンは使えるし、文章も書ける。やればできるはずだ、そう思えてきた。
自分の日報も投稿してみると、すぐに返信がついた。
「キーワード選定のコツ、参考になりました、ありがとうございます!」
見ず知らずの誰かからの励ましの言葉。小さな承認だけど、これが大きな原動力になった。
少しの間でも、孤独な作業の現実から目を背けられたこと、ネットの向こう側に同じ境遇の仲間がいるという事実は、俺に少しの慰めをもたらした。
「よし、今日もがんばるか」
自分を責める闇のループ 〜挫折の正体〜
だけど、やっぱりビジネスはビジネス。
甘いギャンブル的な考えで望んでいた俺にかかるストレスは大きいものだった。
「なんでうまくいかないんだ?」
教材のステップ通りにやっているはずなのに、結果が出ない日々に苛立ちが募る。
教材の音声コンテンツには「すべての原因の結果は自分にある」というマインドセットが教えられていた。それを愚直に信じていた俺は、結果が出ないのも全て自分のせいだと思い込んだ。
「もっと作業しなきゃ」 「もっと記事数を増やさなきゃ」 「もっとキーワード選定を工夫しなきゃ」
自分を追い込む思考が加速する。同時に、疑問も湧いてきた。
「これだけ時間かけてるのに、なんで全然稼げないんだ?」 「教材に書いてあることと違うじゃないか」
自分を責める気持ちと教材への不満が交互に浮かび、そのせめぎ合いに心が疲れていった。
そして、決定的なループに陥った。
結果にばかり執着する → 作業が進まなくなる → 結果が出ない → やる気がなくなる → 酒に逃げる → 「サボってしまった」と自分を責める → ストレスが溜まる → 作業へのモチベーションが下がる → また酒に逃げる…
このループから抜け出せず、一日の終わりには必ずビールを開ける。なんなら作業をしながら、コンテンツを見ながら酒を飲む。一時的な逃避が習慣となり、その習慣が次第に依存へと変わっていった。
次なる希望への執着 〜現実から目を背ける心理〜
ブログアフィリエイトがうまくいかなくても、諦めることはできなかった。
「このノウハウは俺に合わなかっただけだ」
そう自分に言い聞かせ、次の情報商材を探し始めた。YouTubeアフィリエイト、転売、FX、仮想通貨…。様々なジャンルに手を出していった。
心の奥では、自分が同じ失敗を繰り返していることに薄々気づいていた。でも、その事実から目を背けていた。
なぜなら、「お金を稼いで自由になれる希望」を手放したくなかったから。
その希望がなくなったら、絶望しか残らない。会社員として働く地獄に戻るしかない。そんな恐怖から逃れるために、必死で次の情報商材にしがみついた。
もしかしたら、何か特別なことをしている自分に酔いたかったのかもしれない。会社の同僚たちとは違う道を歩んでいる自分に、何か価値を見出したかった。
自信のない、何者でもない自分を隠すために、酒で脳みそを麻痺させながら、新たな情報商材の決済ボタンを押す日々。
これが20代の俺の姿だった。
現実逃避としての仕事選び 〜派遣社員からタクシー運転手へ〜
情報商材の支払いに追われるようになり、流石に働かざるを得なくなった。
ハローワーク経由で派遣として就職。都内のオフィスでのパソコン作業。クーラーの効いた清潔なオフィス環境は、建設現場よりも遥かに快適だった。
しかし、片道1時間45分以上の満員電車通勤が新たな地獄となった。
朝のぎゅうぎゅう詰めの電車に揺られるたびに「こんな生活、無理だ」と思い、また逃げるように辞めた。
次に選んだのは、都内のタクシー運転手(正社員)。週3勤務という勤務形態に魅力を感じた。
「時間ができるから、今度こそ情報商材も実践できるかも」
そんな淡い期待を抱いていた。
しかし、蓋を開けてみると1勤務20時間という過酷な労働条件。体内時計はぐちゃぐちゃになり、帰宅しても寝るだけの生活に。結局、情報商材に取り組む時間なんてなかった。それでも、支払いだけは続いた。
タクシー運転手の仕事も地獄だった。
ある日、道を少し間違えただけで、乗客に「違法行為だから警察署まで行け」と半ば脅される。若くて怖かった俺は従うしかなかった。
警察に話を聞いてもらうと「じゃあ自分で話をつけてこい」と丸投げされる。仕方なく受付で事情を話し、車に戻ると…
客がいない。完全に乗り逃げされた。
この時点で、精神的にもうボロボロ。極めつけは、長時間運転の疲労で新宿の大通りを走りながら数秒眠ってしまったこと。
「いつか事故を起こす」
そう確信した俺は、3ヶ月でタクシー運転手を辞めた。
借金まみれ、そして自己破産へ 〜信じた情報の代償〜
情報商材と酒に散財した結果、借金とクレジットカードの支払いは膨れ上がる一方だった。
「すこしグレーな仕事らしいが、これなら稼げるし、一気に支払いを終わらせられる」
そう思い、今で言う闇バイトのようなものに手を出した。しかし、センスのなかった俺にはまともに稼げず、支払いはどんどん滞った。
さすがにヤバいと思い、債務整理(個人再生)を裁判所で行い、支払いを大幅に減額してもらった。
しかし、それでも金銭感覚は変わらず、稼ぎは悪いのに酒にはしっかり金を使い続けた。結果、またしても支払いが回らなくなった。
「もう自己破産するしかない」
ネットで方法を調べ、「法テラス」という法律相談サービスを利用。弁護士を紹介してもらい、自己破産手続きを開始した。
最終的な判断を下す弁護士には「ゴミを見るような目で見下される」という屈辱を味わいながらも、無事、自己破産が決定。借金はチャラになった。
しかし、精神的な傷跡は消えなかった。
得られた教訓 〜情報商材依存からの解放〜
情報商材に依存した数年間で、俺は少なくとも数百万円をドブに捨てた。
でも今、あの経験を振り返って分かることがある。
「結果にばかり執着すると、作業も進まなくなる」
ダイエットと同じで、目標に向かう道程を楽しめなければ、決して成功はしない。
「自分が何をやりたいのか」を無視して進んだ道には、幸せはない。
興味もない分野で記事を書き続けたところで、長続きするはずがなかった。
「地味な作業の連続が、やがて大きな成果になる」
派手なランディングページに踊らされず、地道な積み重ねの先に本当の成功がある。
「自分を責めるループから抜け出す勇気を持つこと」
すべて自分のせいだと思い込むことは、時に自分を追い詰めるだけ。
以前の俺のように、何か新しいことにチャレンジしようとしている人がいるなら、これだけは覚えておいてほしい。
美しく輝くランディングページの裏には、必ず地道な積み重ねがある。その過程を楽しめないなら、どんな道も苦痛になるだけだ。
そして、失敗してもいい。何度でもやり直せる。大切なのは、同じ過ちを繰り返さないこと。
今の俺は、実家に戻り、近くの大手工場で働いている。そこで今の彼女と出会い、同棲を始めて6年目。
「稼ぐために何かしなくては…」という焦りはまだある。でも、昔よりは確実に実践できるようになっている。
それは、焦らず自分のペースで進む大切さを学んだから。
あなたも情報商材の美しい世界に惹かれているなら、立ち止まって考えてみてほしい。
本当にやりたいことは何か? そのプロセスを楽しめるか? 結果よりも道のりを大切にできるか?
この問いに正直に向き合えば、きっとあなたは私のような遠回りをせずに済むはずだ。
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