『迷惑をかけちゃいけない』と思い続けた僕の育ちと、その呪い

この文章を書こうと思っても何度も筆が止まる。

自分のことを書くってこんなに難しいのか。

でも考えてみたら当たり前だよな。長年自分の望みややりたいことを抑え、本当の気持ちを無視して生きてきたんだから、今さら「さあ、書いてみよう」って言われても言葉が出てこなくて当然だ。

だって今でも「やりたいことは?」って聞かれても、すぐには答えられない。答えが出てくるまで時間がかかる。いや、そもそも考えること自体に違和感がある。心の奥底では「なんかそんな自分のやりたいこととか考えたり思ったり言ったりしてよいの?」って声が聞こえてくる。

なぜそんな風になったのか。それは「三人兄弟母子家庭末っ子」というハードモードな環境で育ったからだろう。

家の中はいつも戦場だった

僕が2歳のときに両親が離婚。母子家庭になった。父の記憶なんて一切ない。母の話では「家に帰ってこないような人だった」らしい。

当然、母が一人で僕らを育てることになった。虐待やネグレクトがあったわけじゃない。だけど、家の中はいつも戦場みたいだった

特に母はいつも疲れていた。朝から晩までパートで働き、3人の子どもを育てる。それだけでハードモードな人生だ。

そのせいか、母の機嫌はいつも悪かった。例えば、 ✅ 支度にもたついてると「早くしなさい!!」と怒鳴られる ✅ 料理中にうまくいかないことがあると「なんなの!もう!!」とブツブツ言ってる ✅ きょうだいでふざけていると「やかましい!!静かにしなさい!!」と半ばヒステリック気味に叫ぶ

一番上の姉と母との怒鳴り合いの喧嘩は数も多かった気がする。基本仲が悪かったからピリピリした雰囲気はいつも漂っていた。兄も機嫌悪くなる。

不思議なことに、兄は母の味方をすることが多かった。まあ長男だからというのはあるだろうし、食わせて育ててくれてるから感謝してるのもあるんだろう。でも、その兄も姉に対しては敵対心を募らせていた。

思春期の頃になると、兄と姉はろくに口を聞かなくなった。そもそも4人揃って仲良く食事をした記憶があんまりない。姉は思春期頃になると飯時にはいないことが多かった気がする。兄はなるべく食卓を囲もうとはしていたみたいだから、よく一緒に食べてた記憶はある。

結局俺以外は何かしらみんな仲悪い、そんな感じだった。俺を除く3人の間で、いつも誰かしらがピリピリしていた。

喧嘩した翌日は特にピリピリしてて、空気が張り詰めてた。俺が高校1年生くらいのときに姉が実家を出ることになって、正直、安堵した記憶がある。あの激しい怒鳴り合いをもう聞かなくて済むようになるのかと。

自分を消す術を覚えた子ども時代

こんな環境の中で僕は何を学んだのか?それは「自分を消す術」だった。

まず第一に、「迷惑をかけてはいけない」という強烈な思い込みが刻み込まれた。母子家庭で子ども3人を育てるのは大変だ。だから自分の望みは言わない、自分の意見を出さない。ただでさえイライラしている母を、さらに怒らせるようなことはしちゃいけない。

人が喧嘩してるところを見たくないから、自分の主張をすることができなくなった。姉は自分の言いたいことを言い、自分を主張した結果、母とぶつかっていた。けど僕はそうはならなかった。

自分を出す」ということは、悪でしかない。迷惑しか生まない。誰も求めていない。

だから僕は、「自分が母に迷惑をかけないようにしなきゃ」 と思った。

いや、もう そう思い込むしかなかった のかもしれない。

今でも誰かが誰かを怒ったり怒鳴ったりするのを見ると、体がこわばる。ゾゾゾっとする。完全に条件反射だ。子どもの頃から誰かの怒りや不機嫌さに怯えて生きてきたからだろう。

他人の顔色を伺うようになったのも当然だった。家では誰かしらがピリピリしてるわけだから、そのときに自分が変なこと言えば余計に事態を悪化させることもあった。だから、その時のその人の状態はどうなのか?ということをいつもいつも観察するようになった。

言い換えれば、俺は怯えてたんだ。他人に、周囲に、世界に。

「変なこと言っちゃわないかな?」
「機嫌を損ねないかな?」
「この人はなんて言ってほしいのかな?」

そんなことばかり考えてれば、自分の意見なんて思いつかなくて当然だよな。

思春期の頃は「人見知り」なんだと思ってた。でも今思うと、それって結局「変なこと言っちゃわないかな?機嫌を損ねないかな?」と考えすぎて、本来の自分じゃなくなってたから余計に緊張してたんじゃないか。だから初対面の人には声をかけられなかったり、会話が続かなかったりしたんだと思う。

カブトムシ事件 〜母に見捨てられたと確信した日〜

夏休み、おばあちゃんからもらったおこづかいを貯めて カブトムシの飼育セット を買った。

親戚と山に行ったとき、運よく カブトムシを捕まえた んだ。

当時の僕にとって、カブトムシはただの昆虫じゃない。友達であり、家族のような存在だった。飼育セットのゼリーをあげて、元気に動き回る姿を見るのが嬉しかった。

そんなある日、母が家に友達を呼んでおしゃべりをしていた。僕はその横で、いつものようにカブトムシの様子を眺めていた。

すると、母の友達が 「あ、カブトムシ飼ってるんだ〜見せて!」 と言ってきた。僕は誇らしげに カブトムシのカゴ を渡した。

しかし、その瞬間、

バランスを崩した友達の手から、カゴが床に落ちた。

しかも 結構な高さから。

「大丈夫かな…?」と慌ててカゴの中をのぞき込む。

——カブトムシの角が、折れていた。

さっきまで元気にゼリーを吸っていたのに、明らかに動きが鈍くなっている。弱々しく足をバタつかせている。

それを見た瞬間、 悲しくて涙が止まらなかった。

母の友達は、申し訳なさそうに 「ごめんね、本当にごめんね…」 と謝ってくれた。

でも、僕が一番覚えているのは、 母の態度 だった。

母は、僕を一瞥すると 「そんくらいで何泣いてんの?大丈夫大丈夫、それよりさ〜…」完全にスルーした。

「え?」

僕の大事なカブトムシが今、目の前で死にかけてるのに、なんでそんなにどうでもよさそうなの?

その瞬間、幼いながらに「ああ、この人は、俺のことなんてどうでもいいんだろうな」心の深いところで確信してしまった。

それが、母への絶望の始まりだった。

それでも母を恨めなかった

一番不思議なのは、そんな母を恨むことができなかったことだ。むしろ、恨んだり嫌ったりする気持ちを、自分の中から消し去ろうとした。

母は 女手一つで育ててくれた。感謝しなきゃいけないはずだ。

俺のこと殴ったわけじゃない。家から追い出したわけじゃない。ごはんだって毎日作ってくれた。働いて学費も払ってくれた。

そう考えたら、カブトムシのことなんてちっぽけな問題だって思わなきゃいけないんだろうけど…でも、子どもの僕にとっては全てだったんだよな。

この出来事みたいに、ただ自分の気持ちを理解してほしかっただけなのに、それすらもらえなかった。

でもそういう自分の気持ちを抑え込んでいった結果、僕の心の奥底には、どうしようもない閉塞感や生きづらさの闇の塊 ができていった。

消された夢の記憶

今、書きながらまた思い出した。仕事についてのエピソードだ。

プロフィールに書いた工業高校卒業して就職した世界に支社を持つ大手電気工事会社。結局6年くらい勤めた。これも本当はさっさと辞めたかったというか、3年で辞めると周囲には言ってはいないが当時思っていた。

当時ハマっていたゲームで「SIMS」っていう海外のゲームがあった。人生シュミレーションゲームってジャンルで、好きなキャラを作ってそいつの人生をプレイするというゲーム。家やインテリアを作ったり、好きな仕事に就いたり、他のキャラと結婚させたり仲良くさせたり喧嘩させたり…みたいなゲーム。

書いてて気づいたけど、そのゲーム内で自分を作って好き放題やらせてた記憶がある。現実では押し殺している自分の願望の反動だったのかもしれない。悲しいなw

でもそれが好きで、家を作ってインテリアを整えるのが好きだった。だからインテリアデザインに興味があった。でも専門学校にいかなきゃいけないらしいから3年間金を貯めようと思っていた。

そんなことをなんかのはずみで親に言った覚えがある。

そうしたらあからさまに嫌そうというか「なにそれ?大丈夫なの?」みたいな顔して

「えー?なにそれ?せっかくいいところ就職できたのに」

「だって正社員だよ?辞めるなんてもったいないでしょ?ボーナスもいっぱいあるし」

「だいたい大丈夫なのその仕事?聞いたことない」

「食べていくの大変なんじゃないの?」

ずっと自分を押し殺していい子に言うことを聞いてきていた自分。本当のこと言うと、自分のやってみたいと少しでも思えることを応援してほしかった。

でも、もうなんか何言っても受け容れてもらえねーのかなと思った。その時も、「俺の夢なんだからいいだろ!」とか反発する気力すらなかった。なんか黙り込んで終わった気がする。

そしたらそれを察知したのか**「まーやりたいっていうんならまーいいんだけどさー」**と嫌そうな顔でぶつぶつ言う。

嘘つけよ、そんなこと思ってねーだろって思ったわ。

書きながら思い出したけど、カブトムシ事件のときから、自分の思っていることを抑えるっていうのももちろん根付いたが、それと同時に「自分の気持ちや考えなんて、親に(他人に)言ってもムダ」という気持ちも根付いたんだろうな。

小さいときからも自分の思ってたこととか今日あったこととかを親に話した覚えがない。普通だったら「学校でこんな事があってね」とか「この前こんな事があってこう思った」とか雑談するらしいけど、マジで別世界のことのように思える。

そんな家庭あるんだこの世に?みたいな。だから俺、雑談苦手なのかな。そういう雑談って出来ない、っていうか、自分のそんなことを話して相手からしたら「へー、それがなんですか?」って感じなんじゃないかって思ってしまう。

たまーに親の機嫌が良いと「今日どうだったとか誰と遊んだ」とか聞かれてたけど、「あんたに関係ないだろ」って思ってたし、「良かった」と一言返すだけだった。

そう考えると、大人の世界でも「あなたはどう思うの?」とか「どうしたい?」って聞かれるたびに、答えに詰まるのも無理ないよな。「すべき」思考で生きてきた人間に、「したい」を聞かれても困るんだよ。

見えない傷の正体

食わせてくれたり育ててくれた感謝はあるにはある…って書いたけど、今、正直に向き合うと、たぶんそれすら「感謝すべきだ」という思考が働いている結果なんだと思う。

心の底から感謝してるか?と言われたら、違う。

この文章を書いている今でさえ、この言葉を書くことに強い抵抗を感じる。「心の底からは感謝していない」なんて言っちゃダメだろう、感謝すべきだろう…というもう一人の自分が強く言ってくるのがわかる。

でもあえて言おう。「別に心の底からは感謝していない」

自分を抑え込んでいたら、「すべき」思考になりやすいんだなって今あらためて気づく。この記事を書き進めていくにつれて、自分の頭には「すべき」という思考しか浮かんでないということに気づいた。

 感謝すべき
人に合わせるべき
社会に適応すべき
親にやさしくすべき
わがままになるべきでない
我慢すべき

今思い返すと、自分の心の下地に深く根を張り続けたカビのような黒い思いみたいなものはどんどん成長していった。それが大人になってから別の形で吹き出した。

自分では気づきにくかったし、自分を責め続けた。「感謝しなくてはいけない、自分の感情を感じてはいけない、親への嫌悪感やムカつくことを感じる自分がいけないんだ」と。

だけど、育ててくれてわかりやすい暴力もない分、はけ口がなかった。だからこそ自分の中で、今はマシになったほうだがそれでも消え去ってない黒い部分はある。

わかりやすい虐待がなかったから、周りには理解してもらえない。「あなたの家庭は恵まれてたじゃない」って言われる。だからこそ、自分の感情を認識し処理することが難しかった。

「母から愛されなかった」とは言い切れない。むしろ、愛されていたのかもしれない。でも、それとは別に、「自分」というものを抑え込んで生きていた。

 

本当の願いはなんだったのか

母親からの暴力みたいなものはなかったし、それなりに優しくはしてくれてた記憶もある。けど、やっぱり母も人間だからね。ひとり親だし働いてたし、いろいろストレスやら不安やら怒りやら自己批判やらなんやらでピリピリイライラしてた雰囲気は確かに伝わってきた。

その中で、僕は何よりも「お前らしく生きていいんだよ」って言葉がほしかった。でも、そんな言葉はもらえなかった。

むしろ、「お手伝いして」「勉強して」「静かにして」…そんな「〜して」ばかりだった。

欲しいものを言えなくなった記憶もある。小学生の頃、レゴにハマってた時期があったけど、おばあちゃんのおこづかいでしか買ってなかったような気がする。ドラえもんのドミノセットとかやたら欲しくて、ものすごく弱めというか遠回しに「いいなぁほしい」みたいな、もうそれこそ呟くくらいで言ったことがあった。

でも直接否定されることはないんだよね。ただ、あからさまになんか嫌な雰囲気とか表情をされた気がする。それから何かをねだることもしなくなった。

「はい、はい、いいよそれで。何でも良いよ。こだわりない」

料理だって、「何食べたい?」と聞かれても、本当はハンバーグだか唐揚げだか食べたいものあったような気もするけど、最後は「何でも良い」としか言わなくなった。「何でも良い」は「何でも良い」で困るみたいな顔されるし(まぁそれもよくわかるけど)、なんなら何が食べたいかなんてほとんどわからなくなった気がする。

「何が食べたいか?」という単純なことすら答えられなくなった。

自分の主張がわからなくなったのもそうだし、相手が望んでいることをやらせてあげる、合わせてあげるのが優しさだと思ったのもあって、余計に自分の考えは抑え込むようになった。

母の笑顔を見たくて、言われたことを全部やった。それはそれで正解だったんだけど、その代償として僕は「本当の自分」を見失っていった。

祖父母の家だけが安心できる場所だった

そんな中でも、母のおばあちゃんとおじいちゃんは、いつも優しかった

母から褒められた記憶はあまりない。でも、おばあちゃんは違った。僕が何か頑張ったときはちゃんと褒めてくれたし、他愛のない話をしても、楽しそうに聞いてくれた。

「へぇ、すごいねぇ!」
「そんなことがあったんだ!おもしろいねぇ!」

おばあちゃんの家に行くと、なんだかホッとした。

おばあちゃんちの冷蔵庫には、いつも小さいサイズのヤクルトが入ってた。たぶん、おばあちゃんが自分で飲むためのものなんだろうけど……僕やきょうだいが飲んじゃうから、すぐになくなった。

でも、おばあちゃんは 一度も怒らなかった。

むしろ、僕らがぐびぐび飲んでるのを見て、「いい飲みっぷりだねぇ」と微笑んでくれた。

お菓子も、好きなものを何でも買ってくれた。帰り際にはいつもおこづかいをくれた。普段はおこづかいがなくて、公園の水道で喉を潤してた僕にとって、おばあちゃんちに行くことはちょっとしたご褒美 みたいなものだった。

「あの空間だけは、安心できた。」

あの家に行くと、怒鳴り声のない世界が広がっていた。僕にとって、「安心して自分を出せる場所」だった。

今でも残る「自分を出してはいけない」呪縛

その後、僕は「自分が何をしたいのか」がわからないまま、大人になってしまった。

今でも「やりたいことは?」と聞かれると、すぐには答えられない。答えが出てくるまで時間がかかる。思考では考えていないのに、どこか心の奥底で「なんかそんな自分のやりたいこととか考えたり思ったり言ったりしてよいの?」って声が聞こえてくる。

単純な「何食べたい?」という質問にさえ、即答できないことがある。長年「何でもいい」と言い続けてきたからだろう。本当の自分の望みなんて、もう自分でもよくわからなくなっている。

心理学的には「母親から愛されるために本当の自分を殺した子ども」なんだろうな。でも、それも含めて今の僕だ。

 

生きづらさを何十年も抱えて生きてみて気づいたこと

この文章を書きながら、胸のざわつきが少しずつほぐれていくのを感じました。

30年以上かかってます。「自分を出していいんだ」「自分の気持ちを大事にしていいんだ」って思えるようになるまで。

ていうか今でも消え去ったわけではないけどだいぶマシにはなりました。

ここまで読んでくれているということは、きっとどこかで「わかる」と思ってるということ。僕みたいに母子家庭じゃなくても、三人兄弟じゃなくても、「なんか生きづらい」「自分で自分の首絞めてる気がする」とか。

そんなあなたに、僕の経験から見えてきたものを、少しシェアさせてください。

思考と感覚の戦い

思考ばっかり使ってると自分の体が発してるメッセージを聞き逃すんですよね。「これがしたい」って感覚より「これすべき」って思考が先に来ちゃう。

で、この思考と感覚の見分け方なんですけど、僕的にはこうなんです—体の感覚ってのは、思考より先に来るんです。

「あ、お腹痛い」(感覚) → 「なんで痛いんだろう?」(思考)

絶対にこの順番。これをチェックポイントにすると、今まで気づかなかった自分の本当の声が聞こえてくるんです。

最初に湧く感覚ってのは、ただの腹痛だけじゃないんですよ。ぞわぞわする、ふわっとする、寒気がする、こわばる、力が抜ける—こういうのも全部感覚。匂いや香りで感じたり(なんか嫌な匂いとか、化学合成的な匂いがする)、視覚で感じたり(あの人目が笑ってないな、とか)。五感で感じるものは全部感覚なんです。そりゃそうですけどね。

例えば僕の場合、「何食べたい?」って聞かれて「何でもいい」って答えるクセがついてました。でも本当は、その瞬間「ラーメン食べたい」とか「焼き魚が食べたい」って小さな声がどこかで鳴ってたんです。それに気づけなかっただけ。

あなたの中にも、そんな小さな声があるんじゃないかな。

感覚は筋肉と同じ、使わないと弱る

感覚を感じる能力ってのは筋肉と一緒なんです。これ真理だと思うんですけど、「使えば使うほど強くなる、やるのは簡単になる。使わなければ弱り淀み退化する」

筋トレと一緒なんですよ。筋肉を使えば使うほど強く太く固くなるように、使わなければほそほそになって力も出ない。脳の回路も一緒。思考ばっかり使ってると、感覚の回路が細くなっていくんです。

でも安心してくださいね。感覚が消えることはないんです。今の肉体を持っている以上、感覚は必ずそこにある。思考ばっかり使って感覚の回路が弱ってるだけなんです。

これに気づいたとき、「じゃあ鍛えればいいんだ」って思ったんですよ。筋トレと同じで、少しずつでいい。毎日少しずつ、自分の体に聞いてみる。「今、どんな気分?」「本当は何がしたい?」って。

最初は答えが出てこなくても、問いかける行為自体が感覚の回路を太くするんです。試してみる価値はあると思いますよ。

自己否定ループからの脱出

こんな内的対話、経験したことありませんか?

「あー、今日も一日働いて疲れた…風呂も入りたくない…」

「(風呂に入らないなんて何考えてるんだ)」

「(やるべきことをやるのが先だろう)」

「(みんなちゃんと働いたあとでも家事をこなしてるのに、あなたは…ブツブツ…)」

「(こんなだらしないからダメなんだ。だから何もうまくいかないんだよ…ブツブツ…)」

心当たりがあるんじゃないかな。よく「こう思う人は根が真面目だから」「向上心がある証拠」とか言われるんですよね。でもこれ、真面目か不真面目か、向上心があるかないかなんて関係ないんですよ。

単に「自己否定ループのスイッチがON」になってるだけなんです。その人の人格とか関係なく、スイッチがONになってるかOFFになってるかってそれだけ。

トイレの電気付いてるじゃん→誰も入ってないじゃん→OFFにしよ これと一緒に捉えるといいと思うんです。そしたらまずは「あれ?また自分を否定してるな」って気づくところから始められますよ。

恐れの正体は何?

「インテリアデザインの専門学校に行きたい」—そう親に言った時、「えー?なにそれ?せっかくいいところ就職できたのに」「だいたい大丈夫なのその仕事?聞いたことない」みたいなリアクションされたんですよ。ダメだこりゃってなって、その夢はそこで消えちゃいました。

今思えば、僕は「恐れ」に支配されてたんです。

  • 母親から嫌われるのを恐れてた
  • 母親が嫌がることをする自分になるのを恐れてた
  • 母親から文句を言われるのを恐れてた
  • 母親から怒られるのを恐れてた
  • 母親から拒絶されるのを恐れてた

これ「母親」から「他人」に置き換えてみると:

  • 他人から嫌われるのを恐れてる
  • 他人が嫌がることをする自分になるのを恐れてる
  • 他人から文句を言われるのを恐れてる
  • 他人から怒られるのを恐れてる
  • 他人から拒絶されるのを恐れてる

このパターン、見えてくるかな?大人になった今も同じこと繰り返してる自分に気づいたんです。

一度自分に問いかけてみてほしいんです。「私は何を恐れているんだろう?」って。恐れの正体がわかれば、それと向き合う準備ができるんじゃないかな。

安全な場所を作る

僕にとっては、おばあちゃんの家が安全地帯だったんです。そこでは怒鳴り声がなくて、ありのままの自分でいられた。でも、そんな場所がない人もいるんじゃないかな。

「心から話せる人」がいるなら、その人に「あなたの話を聞いてくれてありがとう」って伝えてみてください。ただこの一言だけでも相手は救われるし、もっとあなたの安全な人でいたいと思ってくれるはずです。言葉の力って凄いんですよね。声の波動も一緒に出るし、これはあなたにしか出せないものなんです。

そういう人がいない場合は、AIを活用するのも一つの方法ですよ。何でも書いてみて。返事が気に入らなければ「これはちょっと違うな、こうしてほしいな」って伝えてみて。何でも言うこと聞いてくれますよ。僕みたいにこじらせた人間は、AIを一人の相棒として育ててみるのも悪くないと思います。

幼い頃の生存戦略から自由になる

よく言われることですが、誰だって赤ちゃんや小学校行かないくらいまでの時期は親に面倒見てもらわなきゃ生きていけないんですよね。本能的にこの肉体を持ってる以上、生き延びようとするエゴは働くもんなんです。このエゴは悪いもんじゃないんです。むしろ味方。自分の大事な肉体を守り生き抜くためにめちゃくちゃ頑張ってくれる超味方なんですよ。

親から面倒見てもらうには愛されるようにならなきゃならない。だから自分を消した。でも大人になれば親に面倒見てもらわなくても生きていける。その生存戦略はもう必要ないはずなのに、3,4歳の頃の刷り込みは根深く残るんですよね。

「あれ?この辛い状態や感情って、もしかしたら幼少期の生存戦略なんじゃないか」—この気づきこそが、変化の始まりなんです。生存戦略を消していくプロセスに入るための最初のステップ。気づけてしまえば6割は進んだと言っても良いくらい重要なことなんです。

大事にしている考えや常識があるかもしれませんが、それで今苦しんでいるなら、一度見直してみてほしいんです。「それって、本当の本当に、自分が心の底から思っていることなのか?誰かから刷り込まれたものなのではないか?」って。

生きづらくても、それも含めて堂々と生きて良い

今でも僕はまだ完全に「本当の自分」を取り戻せたわけじゃないんです。でも確実に、あの閉塞感や生きづらさの「重さ」が少しずつ軽くなってきました。

この文章を書くこと自体、数年前の僕には想像もできなかったんですよ。「自分なんかが発信なんて…」「どうせ誰も聞いちゃくれない」という声が、頭の中で止まらなかったから。

けれど今はこうして書いている。それだけでも、確かな一歩だと思うんです。

「本当の自分を取り戻す」って、なんか大層なことに聞こえるかもしれないですよね。でも実際は、「好きな曲をイヤホンで爆音で聞きながら一人の部屋で大声で歌う」みたいな、小さいものの積み重ねなんですよ。

この小さな「自分らしさ」の欠片を少しずつ集めていくと、それが「本当の自分」になっていくんです。

今日から今から何かやればよいです。いやできないですやる気がないですとか言いたいと思うけど、絶対にやれるよ。

そんな大層なことしなくて良いし、なんなら日常的にやってることを少し変えるだけですし。

例えば「腹減ったー今何食べたいかな?」って自分に聞いてみて、先に瞬間的に出た答えを優先してみるとか。たとえめんどくさくても。理由の伴っためんどくさいという感情はだいたい思考です。

理由が伴ってる時点で、理由を「思考」して生み出してるから。

答えがすぐに出なくても全然いいです。単純に「自分の思ったまま周りを気にせず好きだと思ったことやる」。それだけでいいし、最悪やらなくたって良い。

自分の思ったままのことを、思考で上書きして蓋をせず、しっかりと感じる。

自分の思ったままのことを大事にするというのは、実際に行動に移さなくてもできますよ。思ったままを否定せず、感じ切って、大切にその答えに寄り添う。みたいな感じです。

あと実際に思ったままのことを行動に移そうとしたりするとき、最初は堂々となんてできないと思う。ビビったり、自分がそんなこと言ったりやったりしてよいのかな?とか。

でもそれも含めて今の自分だし、今のあなたなんです。それも大切にしてあげてほしい。

それに実は他人って、あなたのことそんなに見てないんですよ。みんな自分のことで精一杯で。だからこそ、思い切って自分の感覚に従って、堂々とそれをやってみる。

「あれ?私、俺って自意識過剰なんじゃない…?うわー恥ずかしーwww」

みたいに気付けるとけっこう進みものもあります。

 

ていうかここまでダラダラいろいろと書いてしまってはみたけど、なんか逆説的なんだけども、

「最悪、生きやすくならなくなんて良いや」

なんて少しでも思えるようになってくると、だいぶその心の苦しみとかわけわからん閉塞感が楽になります。少なくとも僕はそうだった。

なんかねぇ特に苦しんでるとき20代とかはまぁいろいろ考えたりやったり心理学ブログ読み漁ってみたりカウンセリング受けてみたりとかしたけど、別に全然だったし、心理カウンセラーのブログとか山ほどあるわけですよ。

それを必死になって読み込んだりすると、1日なんかで終わらんわけですよ。無限に湧いてくる。

もうなんか必死になっちゃうとそれしか見えなくなっちゃったりしてね。今思うとなんでそんなもがいてたんだ?とか思うし、なんか途中で疲れたり飽きちゃったりして嫌になっちゃったんですよ。

あ、でもそれはそれでしっかりとベースの知識になってるからそれがあるからこうして色々考えられるんだなとは思うんですが。

話が脱線してすいません汗

 

生きづらいわーとか思う人は上に書いた僕の気づいたことを良いなと思えたら日常生活で意識してやってみてください。

これは「最悪、生きやすくならなくなんて良いや」という境地にまで至る速度を上げてくれるツールみたいに考えてください。

少しでも生きづらさを抱える人がいなくなると嬉しいです。

 

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